ウガンダ生活

ウガンダ・ブイクウェの生活を実況中継中

ウガンダ観光2

カンパラ編

カンパラは首都研修で一ヶ月滞在したこともあり、モスクやマーケットなど主な場所は行ったことがあるのですが、この度友達と新たにいくつかの場所を開拓してみました。

 

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寮のすぐ近くにあるモールの映画館。「アベンジャーズ」シリーズ最新作公開直後ということもあってか、かなり混雑していました。

ちなみに私たちが見たのは「Little」とかいう、いかにも日本非公開ぽいコメディ映画。観客は自分たち含めて六人ぐらいしかいませんでしたが、結構面白かった。


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ポップコーンの香ばしい香り漂う売店。


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中は日本の映画館とほとんど同じ!一瞬、帰国したかのような錯覚に襲われました・・・

 

ナカセロマーケット近くにヒンドゥー教のお寺を発見。

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なかなか豪華な内装の建物内。どこの国でも、どんなに騒がしい街の中にあっても、宗教建築は一歩足を踏み入れるとどことなく静かな空気が流れていて落ち着きますね。


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敷地内でウガンダに来て以来初めて鳩を発見!

 

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カバカ・パレスという、ガンダ族の王様の宮殿の近くにある湖。カンパラはどこも人と交通量の多いごみごみしたところばかりだと思っていたのですが、こんなひっそりした場所があるとは知らず感動。

湖の周りにはまた見たことのない鳥が集まっていました。

 

ここからは、今回の旅で唯一私が強く希望した場所へ。

王様のパレスの敷地内に入り、右の脇道へ逸れて奥へ進むこと数分後、緑鮮やかな草地の奥にひっそりとした場所が。

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「ようこそ。この武器庫は1970年代後期にイスラエルによって建てられましたが、その後イディ・アミンによって拷問施設として使われ、ここで何万ものウガンダ人が殺されました」

かの悪名高きイディ・アミン元大統領のTorture Chamberです。

 

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二メートルほどの高さの塀に挟まれた道の先に薄暗い施設室内が見えます。使用されていた当時は扉がついていたのでしょうか。


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当時ここで少なくとも20万人以上の人が殺されましたが、建物の容量が足りないと言って、退任を迫られるまでアミンはもう一つ拷問施設を隣に建てる計画をしていました。その工事の途中だった土地を開いた場所が、入り口のすぐそばに今も残されています。

 

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中にはこのように五つのセルが横並びになっています。


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覗くと、窓が塞がれており、あかりもなく、中は真っ暗。使用されていた当時は鉄の扉が取り付けられいたそう。

また、写真には残していませんが壁には当時拷問された人たちが血のついた手で壁を触った手形がそのままで残されていました。


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収容者が逃げられないよう、セルの外には当時電気の通った水が張られていました。水の跡は今も生々しく壁に残っています。

 

アミン元大統領は自分への反対分子を誘拐させて、目隠しをして車に乗せては、パレス周辺の円環道路を何周も走らせ、その後彼らをパレス内にあるこの拷問施設へ連れて来たのだそうです。目隠しを取られる頃には拉致された人間は自分がどこか遠いところへ連れてこられたと思いこみ、このような恐ろしい拷問施設がまさか宮殿の中に位置しているとは夢にも思わなかったでしょう。実際にアミンの政権中、この施設のことは国民には知られていませんでした。

殺害された人数20万人とは、当時のウガンダ人口のおよそ17%に当たる数字であり、この数字からいかにアミンの粛清が際限のないものだったかを知ることができます。また、現在65歳以上の人間(当時の20代以上にあたる)がウガンダの人口において占める割合は1.9%以下となっており、東アフリカのなかでもこれは目立って低い数字です。

ガイドの人が「注意深く見ると、ウガンダにはお年寄りが少ないのに気づくでしょう」と言っていました。アミンの粛清は、彼の世代を生きたウガンダ人の数に著しいインパクトを与えるほどだったようです。

 

見終わった後、パレス外の公園で友人と話していて、「現代の日本も当時のこのようなウガンダの状況と根本的に違うわけではないのではないか」という言葉が彼から漏れました。

例えば、現在日本には入管収容施設がありますが、これらの施設においては収容者の人権が顧みられていないことが再三指摘されています。にも関わらずこのことはテレビで大々的なニュースとはならず、私自身難民支援協会のセミナーに参加するまでは知りませんでした。一部NPO/NGOやボランティアにより、インターネットでこれらの問題が発信されてはいますが、具体的なアクションを出入国在留管理庁が起こす、あるいはそれに至る世論の形成には未だ至っていません。

人権蹂躙は遠い昔の遥か彼方の国における昔話ではなく、今この瞬間、私の母国でも起こっている、そんな事実に胸を馳せるきっかけとなった言葉でした。

 

ちなみに、入管施設の問題については認定NPO法人難民支援協会のこちらのページで詳しく説明されています。

興味のある方は是非ご一読ください。

[特集]難民の「収容」とは何か?|活動レポート|難民支援協会の活動 − 認定NPO法人 難民支援協会 / Japan Association for Refugees

 

(つづく)

dasboott.hatenablog.com

ウガンダ観光1

この度日本から二人、別々に友達が来まして、ウガンダ紹介がてら国内を旅行しました。

 

ウガンダは国民の八割が農民ですが、国のGDPのおよそ半分をサービス業(宿泊・飲食)が占めるという特異な国。それだけ観光業が影響しているのでしょうか?

そんな国ウガンダの中を、ちょっと足を伸ばして数カ所旅行して来ました。

 

ジンジャ編

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カンパラから車で3時間ほど東に行ったところにある、ウガンダ第二の都市。英領ウガンダ時代に建設されたそうで、ナイル川源流の東岸にあたる箇所に位置しています。

 

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地元の人たちが利用するメガ・マーケット。巨大駐車場のような建物の中に大量の食材、衣類、日用品などが所狭しと並べられています。これといった案内板もなく、迷路みたいで迷う・・・。

魚類エリアはビクトリア湖で採れた小魚を乾燥させた、煮干しの匂いが充満していました。

 

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ビクトリア湖沿いを乗馬しました。馬が大きくて、テンション上がる!ただ、乗りなれていないのでお尻が痛かった笑

「アフリカの真珠」の異名を持つほど、自然豊かなウガンダ。青々と茂った緑が目に優しい。雄大なナイル川とのコントラストも最高です。

幸い天気にも恵まれ、綺麗な景色を楽しめました。

 

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ホテルのテラスにあった謎のオブジェ、と思ったらバーベキュー台になっている!なんとお洒落。


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乗馬の後はボートでナイル川対岸へ渡り、そこからサンセットクルーズへ出発。

 

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サンセットクルーズはドリンク料金込みで、ハンバーガー、フライドチキン、野菜スティックなどの料理もついてきました。美味しかった。

オフシーズンのため乗客が私たち三人ともう二人しかおらず、ほぼ貸切状態。乗り合わせたのはカンパラのNPOで働いているというドイツ人と、おそらく同僚のウガンダ人。いかにウガンダ人の時間の感覚が緩いかという話で大盛り上がり。

 

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ウガンダには1000種類以上の鳥が住んでおり、バードウォッチングの名所としても有名だそう。残念ながら写真の鳥の名前はわからないのですが・・・帰国するころには、少しはわかるようになっているといいな笑

ちなみに任地赴任時のドライバーも鳥オタクで、双眼鏡片手に鳥を観察していました(携帯の着信音が鳥の鳴き声だった)


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水面に映るバニラスカイが美しい。最高の1日でした!

 

おまけ

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ホテルのわんちゃんたち。飼い犬なので毛並みが良く、そして警戒心ゼロ・・・。

久しぶりに動物に触って癒された。

 

(つづく)

dasboott.hatenablog.com

マリリンと私4

⑤賢いマンソン

バンドの人気絶頂期だった1999年、ある恐ろしい事件がアメリカで起きました。かの悪名高きコロンバイン高校銃乱射事件です。

 

コロンバイン高校の生徒、エリック・ハリス(Eric David Harris)とディラン・クレボルド(Dylan Bennet Klebold)が銃を乱射、12名の生徒と1名の教師を射殺し、両名は自殺した。重軽傷者は24名。アメリカの学校における銃乱射事件としては、犠牲者数において1966年に起きたテキサスタワー乱射事件に次いで大規模なものであった(発生直後において。その後2007年に33人が死亡したバージニア工科大学銃乱射事件が起きた)。

 

日本でも当時かなり大々的に取り上げられていたので、覚えてる方も多いのではないでしょうか。

自殺した犯人二人の動機を巡って、アメリカでは当時マスコミによって様々な娯楽作品が非難の的にされました。「マトリックス」、「バスケットボール・ダイアリーズ」、残酷なビデオゲーム・・・その矛先に立たされたのがマリリンだったのです。

後々になって犯人二人はマリリンのファンではなかったと判明するのですが、当時この件に関するバンドへのバッシングは激しく、メカニカル・アニマルズツアーは中止に追い込まれ、ラジオは彼らの曲を流すのを止めました。

これに関しては事件の背景を探ったマイケル・ムーア監督のドキュメンタリー映画「ボウリング・フォー・コロンバイン」が詳しく、監督とマリリンのガチンコインタビューもばっちり収録されております。

 

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 少々長くなりますが、かなり秀逸なので引用します。

俺が槍玉に挙げられた理由ははっきりわかる、なぜなら俺の顔をテレビに映しておけば都合がいいからだ、結局俺は恐怖の象徴なんだ。俺は人々が恐れるものを体現してる、なぜなら自分の言いたいことをやって、やりたいことをするから

(I definitely can see why they would pick me, because I think it’s easy to throw my face on a TV, because I’m, in the end, sort of a poster boy for fear. Because I represent what everyone’s afraid of, because I do and say what I want.)

だってテレビをつけてニュースを見れば、みんな恐怖を詰め込まれる。洪水だ、エイズだ、殺人だってね。コマーシャルに切り替わったら、今度はアキュラを買え、コルゲートを買えって(※)。息が臭かったら嫌われるぞ、にきび面だと女の子とヤれないぞって。恐怖と消費のキャンペーンなんだ。それが全ての基板になってる。そうやってみんなに恐怖を植え付けて、消費を促す。

(‘Cause then you’re watching television, you’re watching the news; you’re being pumped full of fear. And there’s floods, there’s AIDS, there’s murder. You cut to commercial, buy the Acura, buy the Colgate. If you have bad breath, they’re not gonna talk to you. If you got pimples, the girl’s not gonna fuck you. It’s a campaign of fear and consumption. And that’s what I think that’s it’s all based on, is the whole idea that: keep everyone afraid, and they’ll consume. )

※アキュラはホンダの高級車ブランド、コルゲートはアメリカの口腔衛生用品ブランド

 

映画の中で、マリリンはなぜ自らが当時槍玉に挙げられたのかを分析し、このような事件の背景となるアメリカの消費社会のあり方について自らの考えを述べます。資本主義とはすなわち「あなたは今のままではいけない」という恐怖をベースとした広告コミュニケーションを通じて人々に絶えざるモデルチェンジを促す仕組みです。このようにして社会に組み込まれた恐怖が、アメリカ独特の銃社会という文化と結びつき、人々のヒステリックな反応を呼び起こすというわけです。

これこそはまさに、「A Portrait Of An American Family(あるアメリカのひと家族の肖像)」というタイトルのアルバムでデビューし、常にアメリカ社会独自の問題と向き合ってきたマリリンの真骨頂が垣間見えた瞬間でした。

 

ここでマリリンが触れている鏡像としての「マリリン・マンソン」というイメージは、実は以前から作品やインタビューにもしばしば登場していました。

マリリン・マンソンとはブライアン・ワーナーが作り上げたキャラクターであるだけでなく、オーディエンスがそこに「自らの見たいものを見出す」、ある種真っ白なキャンバスのような存在でもあるのです。この観点をもってして、彼の作品の暴力性・反社会性を指摘するキリスト教徒や保護者団体に対し、彼は常に彼らが感じている脅威は本当のところ彼ら自身に根ざしているのではないか?という大いなる疑問を突き付けてきました。マリリンはこんな風にして己自身を素材としながら、メタ的に社会の現状をあぶり出していきます。このことからも、90年代にマリリン・マンソンがアメリカにおいて一種の社会現象であったことは必然だったと言えるでしょう。

 

事件の三年後に公開されたこの映画作品によって、それまでファンの間でのみ知られていたマリリンの知的な一面は一挙に知れ渡るところとなりました。ムーア監督自身彼の回答にはかなり感銘を受けたようで、マリリンのインタビュー後の数十分間、映画は彼による現代アメリカの消費社会の分析をなぞっていきます。

皮肉な話ではありますが、バンドの活動に大きな影響を与えたこの事件が、かえって一般的なマリリンのイメージを変えることになったのでした。

 

インタビューの最後を、マイケル・ムーアは「もしも今ここにコロンバイン高校の子供達や地元の人々がいたら、彼らにどんな言葉をかけますか?」という質問で締めくくります。

これぞデビュー以来虐げられたキッズに寄り添ってきた彼ならではの、知性と優しさに裏打ちされた返答といえるでしょう。

 

何も言わない。ただ黙って彼らの言いたいことを聞く。誰一人としてそれをやらなかった

(I wouldn't say a single word to them. I would listen to what they have to say, and that's what no one did.)」

 

⑦マリリン・"ソフト"・マンソン

数あるマリリン・マンソンの楽曲の中でタイトルに"Love"が入っているのは、「Holly Wood」収録の「The Love Song」の一曲のみですが、この歌は全くもってラブソングではりません。しかし、マリリン・マンソンのラブソングは確かに存在します。ただ知名度が低いだけで。

ここでは最後にマリリンの恋愛事情、それに関連して彼のソフトな一面を知ることができる楽曲群についてご紹介したいと思います。

 

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(元婚約者の女優ローズ・マッゴーワンと)

 

「Mechanical Animals」発売当時、前作「Antichrist Superstar」の攻撃的なサウンドとのギャップには多くのファンが驚きました。この変化の裏には彼自身の「同じことをやりたくない」というある種の矜恃があったことは勿論ですが、当時の私生活のパートナー、女優ローズ・マッゴーワンとの関係の影響も間違いなく大きかったでしょう(同アルバム収録曲、「Coma White」のPVには元大統領ケネディ夫妻に扮したマリリンと彼女が登場します)

実はマリリン、私生活のパートナーがそのときどきの作品に及ぼす影響が少なくないらしく、必ず彼らをPVに出演させたり、あるいは自らの映像作品の出演者にキャスティングしたりします。有名なところでは元妻で、ピンナップガールのディータ・ヴォン・ディーズが「mOBSCENE」に文字通りのカクテルガールとして登場していました。

コロンバイン事件の余波などもあって三部作最後の「Holly Wood」は興行的には振るわなかったのですが、「mOBSCENE」を収録した「Golden Age Of The Grotesque」(2003)では今PVでグラミーのベスト・メタル・パフォーマンスにノミネートされるなど、見事なカムバックぶりを見せつけていました。

 

しかし作品そのものへの食い込み度合でいうと、その後の交際相手である女優レイチェル・エヴァン・ウッドほど存在感のあった人はいないでしょう。

他の元カノたち同様PVへの出演("Heart Shaped Glasses(When The Heart Guides The Hand)")は勿論ながら、彼女の場合は何と言っても破局後の作品にまで影を落としたところが特異でした。

別れの後最初にリリースしたアルバム「The High End Of Low」(2009)は、旧来のファンをどよめかせるようなどストレートなラブソング、「Devour」で幕を開けます。そしてマリリンをしてこの悲痛なラブソングを書かしめたのが他でもない彼女だったのです。

 

I can't sleep until I devour you

お前を貪るまで俺は眠れない

 

And I'll love you if you let me

and I'll love you if you won't make me stop

お前が許してくれさえすれば俺はお前を愛する

お前が止めさえしなければ俺はお前を愛する

 

この曲に関してはマリリン本人がその背景を述べており、なんでもレイチェル・エヴァン・ウッドを殺して自らも自殺しようと企図していた日の三日前に書かいたものとのこと。彼女へのマリリンの入れ込みようには相当なものがあり、これ以外にも2008年のクリスマスには彼女に158回電話して、その度に顔やら手やらをカミソリで切ったのだとか。正直アンチクライスト・スーパースター云々よりこっちのがよっぽど怖い・・・。

一方彼女にとってマリリンとの関係は苦痛に満ちたものだったようで、その後のMe Tooムーブメントの中では彼から受けた精神的・肉体的暴力を告発しています。

「Mechanical Animals」にもいくつか"love"というフレーズのちらつく物憂げな歌はありましたが、ここまで正面きったラブソングはおそらくこれが唯一でしょう。他にも同アルバムには「Leave A Scar」「Into The Fire」など悲痛な愛の歌が複数収録されています。恋に破れた、傷心のメンヘラアンチクライストスーパースターに興味のある方にはオススメのアルバムです。

 

 

 

以上、私なりに既存の紹介記事とは少し異なった観点からマリリンの魅力をまとめてみました。音楽性に関しては、詳細かつクオリティーの高い記事がネットに山ほどあると思うのでそちらを参照されたし・・・。

 

さてはて、そんなこんなで今年で私のマリリンファン歴もいよいよ16年目に差し掛かりました。実を言うと英語の勉強を始めたのもマリリン・マンソンがきっかけでした。彼に出会っていなければ、おそらく中学のカリフォルニアホームステイも、国際高校への進学も、カナダへの留学も、そしてウガンダへの冒険もなかったことでしょう。

音楽は人生を変えるとはまさにこのこと。

 

これをきっかけにマリリン・マンソンに興味を持ってくれる方が少しでもいれば幸いです、You fuckin' asshole!

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マリリンと私3

③笑えるマンソン

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最近になってやっと知られてきたマリリンの魅力の一面として、実はかなりユーモラスな人であることが言えるでしょう。

セールスの最盛期にはセンセーショナルなイメージが先行して生ける悪魔のような扱いすら受けていましたが、その後メディアへの露出が増え、映画やテレビドラマなどに俳優として出演するようになるにつれ、自然とお茶の間との距離感が縮まっていった感があります。

 

北米の大人向けアニメ「クローン・ハイ」に登場したマリリンが、食事の栄養バランスについて歌って踊って教えてくれるビデオ。ちゃんとオチてます。

 

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発言集には、かつてのマリリンがスマッシング・パンプキンズのフロントマン、ビリー・コーガンを騙してコカインの代わりにシーモンキーを吸わせた話が載っています。

 

「水槽から出して放置しておくと、乾燥して粉っぽくなっていくんだ。その状態で何年も放置しておいても、水に浸けると息を吹き返すんだよ。ビリーはそれをコカインだと勘違いして吸っちまったんだ。その後数年間、彼の鼻腔にはシーモンキーが住みついたってわけさ。ションベンと一緒にちっちゃなエビが出てきたら驚くだろうな」

 

やられた方はたまったもんじゃありませんが、まあこんな感じで悪趣味なイタズラのエピソードにはことをかきません。

ちなみにこれがそのシーモンキー↓

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こんなイタズラをされて尚こうやって一緒に写ってくれるビリー、なかなかいいやつじゃないでしょうか?

 

以上はマリリンの意図的なユーモアについて書きましたが、「Rock Is Dead」PVのシースルーコスチュームなどに見てとれるよう、時折マジなのかギャグなのかわからないギリギリのラインをついてくるのも彼の愛嬌の一つ。

NME誌では三部作に次いで4番目に評価の高かったアルバム、「Pale Emperor」(2015)よりシングル「Deep Six」のPVはその代表といえるでしょう。

百聞は一見にしかず、ある意味ここにあげたビデオですでにマリリンを知っている方には一番見て欲しい一本と言えるでしょうか・・・曲自体がめちゃめちゃかっこいいだけに、映像のシュールさがなおのこと際立っています。

それでもジャケットを脱ぐカットのセクシーさだけで、2015年度私の抱かれたい男ランキングだんとつ一位でしたが。

 

④キッズとマンソン

他の多くのロックバンド同様、90年代、マリリン・マンソンの主なファン層は10代〜20代のキッズたちでした。かくいう私も彼のファンになったのは12歳の頃であり、その点私の青春は常に彼の音楽と共にあったといっても過言ではありません。

多くのロックスターがそうであるように、マリリンは今のキッズたちに自分の昔を重ね、キッズたちはマリリンの昔に今の自分を重ねます。私が彼に心酔した最大のポイントもここにありました。

 

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Nothing suffocates you more than a passing of everyday human events

an isolation is the oxygen mask that make your children breathe into survive

日々の人々の営みほど君を窒息させるものはない

孤独こそは子供達を生き延びさせる酸素マスクだ

-Holly wood収録Fight Songより

  

僕みたいになりたいというファンには、僕のようになりたかったら自分らしくあることだと言っているよ。

-マリリン・マンソン発言集より

 

受験勉強で辛いとき、鬱屈とした気持ちで早稲田アカデミー都立大学校に通っていた私のカバンには常に彼の発言集がありました。また、中学で仲の良い同級生が全員不登校になって途方に暮れていたとき、私に語りかけてくれたのは学校帰りに寄る古本屋で買う音楽雑誌の彼のインタビューでした。両親の離婚、再婚とマリリンに傾倒した時期が重なっているのも、おそらく偶然ではないでしょう。

 

This next song is for every dad that said you weren't grow up to be anything at all

This next song for every teacher that said you were fucking stupid

And this next song is for everyone that you fucked and said you were going anywhere with your life 

And this next goddamn song is for every priest, that said you were going to hell

so I want you to chante, "Fight, fight, fight..."

これから歌う歌は、お前は何者にもなれないと言った全ての父親に贈る歌だ

これから歌う歌は、お前をクソバカ野郎だと言った全ての教師に贈る歌だ

これから歌う歌は、お前とヤッて、お前の人生はどうにもならないと言った全てのやつに贈る歌だ

これから歌う歌は、お前は地獄に落ちると言った全ての司祭に贈る歌だ

だからお前たちに歌ってほしい、「戦え、戦え、戦え・・・」

-シングル「Fight Song」収録のライブMCより

 

実を言うとこの記事を書くために繰り返し音源を聴いている今ですら、泣けてきそうになるくらい、マリリンの言葉には不思議な力強さがあります。それこそは彼自身が、鬱屈した少年時代を経て、それでも生き抜いてきたことの証といえるでしょう。

加えて彼の素晴らしいところはキッズたちの怒りや疎外感に共感を示しつつも、ただの慰めに終わらず、人生に必ず伴う痛みを包み隠さずに歌い、戦うための術を示している点です。

 

『違う時代だったら自分は違う受け入れられ方をされたんじゃないか?』って考えるのは簡単だよ。『この時代は自分にあってないだけだ』ってね。でも、他の場所に行って今以上に幸せになれるとは思わないな。むしろ、アーティストとして、自分のいる時代の価値観を変えるべきなんだと思う

 

A pill to make you numb, a pill to make you dumb, a pill to make you anybody else

But all the drugs in this world won't save her from herself

自分を麻痺させる薬も、阿保にする薬も、他の誰かにしてくれる薬も

彼女を彼女自身から救えない 

-Mechanical Animals収録曲Coma Whiteより

 

二つ目の引用は私の葬式のプレイリストにいれる予定の、「Coma White」という曲の一節です。

ここでいう「彼女」とは限定的に言えばアルバムの物語の中の登場人物を指していますが、より広義の意味では間違いなくリスナーひとりひとりに向けられた言葉といえるでしょう。リスナーの共感を集めつつ、「疎外された」と感じている人間にありがちなルサンチマンを彼は退けます。この辺りはニーチェの「力への意志」(我がものとし、支配し、より以上のものとなり、より強いものとなろうとする意欲)の影響でしょうか。虫けらキッズに寄り添うと同時に、そのような自分を乗り越えていくヒントを彼は提示してくれるのです。

 

しかして、そんなキッズからの強い支持が、翻って彼への激しい非難につながる出来事がアメリカで起こりました。

 

(つづく)

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マリリンと私2

②つくり込みマンソン

マリリン・マンソンは、ただのバンドではありません。それは一つの概念であり、象徴であり、そして何よりも作り込まれた人為的なコンセプトなのです。私にとってこのバンドがもたらした最大の衝撃はそこにありました。

わかりやすいのはなんといってもバンド名でしょう。50年代アメリカを代表するセックス・シンボルであるマリリン・モンローと、60〜70年代にかけて活動していたカルト指導者であるチャールズ・マンソンの組み合わせは、他でもないアメリカの陰陽を象徴しています。

 

俺がアメリカをダメにしたんじゃない、ダメなアメリカが俺を生んだんだ。

 

マリリン・マンソンとアメリカ社会批判は切っても切れない関係にあり、それはバンドのアイデンティティーでもある名前にすでに根ざしているのです。

ちなみにこの名前の付け方にならって、90年代からのメンバーの多くは女性アイコンの名前と、シリアルキラーの苗字を芸名にしています。元ベーシストのトウィッギー・ラミレズの名前はモデルのトウィッギーと、「ナイト・ストーカー」の名で知られるシリアルキラー、リチャード・ラミレズより。元キーボード、マドンナ・ウェイン・ゲーシーは歌手マドンナと、「キラー・クラウン」の異名を持つジョン・ウェイン・ゲイシーより。

どうです?中ニ病心をくすぐられませんか?

 

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(地元では"ポゴ"の愛称で親しまれていた、ジョン・ゲイシー扮するピエロ。この格好で孤児院などを慰安訪問する傍ら、自宅地下室で少年たちをレイプしては殺害、埋めていた)

 

私が思うにマリリンにはある種完璧主義者的なところがあり、作品に対する彼の作り込みには、いささか強迫的なものすら感じさせられます。彼が直接担当している作詞はもちろんのこと、90年代のスタジオアルバムに関しては全てに物語があり、キャラクターがあり、それらがビジュアル、歌詞、サウンド、アルバムのアートワーク全てを通じて一つの作品としてリスナーに送り届けられているのです。

例えば3枚目のアルバム「Mechanical Animals」には隠し映像が収録されており、アルバムに登場する架空の宇宙人オメガの解剖動画が見られるという作り込みようでした。またこのアルバムのプラスチックケースは半透明のブルーなのですが、このケースにアートワークをかざすとアルバムの物語になぞらえた隠しメッセージが浮かび上がる仕様になっています。そう、マリリン・マンソンのアルバムはただのCDとその入れ物ではなく、それ自体が一つの込み入った宝探しのような、遊び心と創意工夫に溢れた作品なのです。

90年代〜00年代頭にはマリリンのファンサイトが多数存在し、皆が交流掲示板で各々の考察や意見を交わしていました。そんな謎解きのような楽しみ方ができるのも、全ては一つ一つのアルバムの奥域の深さゆえ。

 

③キリスト大嫌いマンソン

マリリンの名を一躍世界に知らしめたのが、彼らの二枚目のアルバム、その名もズバリ「Antichrist Superstar」でした。

アンチクライスト・スーパースター

アンチクライスト・スーパースター

 

90年代インダストリアルロックシーンを牽引したナイン・インチ・ネイルズのフロントマン、トレント・レズナーがプロデューサーだったことなど、ヒットに繋がる要素は色々とありましたが、なんといってもこの挑発的なタイトルが話題を呼んだことは確かでしょう。実際にこのアルバム、宗教大国アメリカでは発売当時かなり論争の的となりました。各キリスト教系団体から激しい抗議が巻き起こり、全盛期のバンドのライブ会場周辺にはマリリンを批判するキリスト教信者がひしめいているのが常でした。この辺りはDVD「Guns, God, And Government」に収められているツアー周辺の様子が詳しく、マリリンを聴くものは地獄の業火に焼かれてうんたらかんたらと、モザイクで顔を隠された男性が声高に訴えている様子が見て取れます。 

ガンズ・ゴッド・アンド・ガヴァメント [DVD]

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マリリンとキリスト教の因縁の関係は彼の子供時代にまでさかのぼります。

そこそこにいいお家のおぼっちゃんだったブライアン少年は地元のキリスト教系私立学校に入れられるのですが、当時のそこでの教育は、デビッド・ボウイやクイーンの曲を逆再生でかけて、「ほらここに悪魔のメッセージ音声が!」みたいなもの(だったらしい、自伝によると)

そんなこんなでロックミュージックに傾倒しつつあるキッズだった彼は、夜な夜なベッドの下からサタンが這い出て来て彼を地獄に引きずり込もうとするという悪夢にうなされ始めます。どうもこの辺りが原体験となって、ブライアン少年の中に現代アメリカ社会におけるキリスト教のあり方への反感が芽生えていったようです。

 

よくある誤解として、マリリンが批判しているのはキリスト教の教えそのものではなく、鉤括弧つきの「キリスト教」であるという点があります。90年代当時のアメリカにおいていかにキリスト教信者のバッジをつけることが社会的に「私はまともな人間です」という免罪符たりえていたか、またいかに実際の彼らの行動が教えの本質に背いているか、その辺りが彼の批判の矛先だったのです。

 

I never really hated the one true god, but the god of the people I hated
俺は唯一誠の神を憎んだことは一度もなかったが、人々の神は憎かった

-アルバムHollywood収録、Disposable Teensより

 

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(悪魔教会の開祖、アントン・ラヴェイと)


また、マリリンは悪魔教会のメンバーとしても知られています。
キリスト教信者のルサンチマン(強者に対し仕返しを欲して鬱結した、弱者の心)を批判したニーチェに傾倒していたマリリンにとって、神の教えに背いて天国を追放され、その後独自の道を行ったサタンは、いかにも象徴的な存在だったのでしょう。

 

I went to god just to see, and I was looking at me
俺は神を見に行った そこで俺が目にしたのは自分自身だった

-アルバムAntichrist Superstar収録、Reflecting Godより

 

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(学生時代の全然イケてないブライアン君。うーん、親近感)


彼は常々外部のマジョリティーに自らの正義や信念を一致させ、批判を恐れて独自の思考や感性を放棄する生き方を忌み嫌います。自らの行動・発言に対して責任を取ることはそれに対して批判を受けることと常にセットであり、排除を恐れて他者を隠れ蓑にすることは恥ずべき行為であるという思想です。

ちょっと話が逸れますが、この辺り、太宰治著「人間失格」における「世間」という言葉への批判(「世間がゆるさないのではない、あなたがゆるさないのでしょう?」)と重なる部分があります。

私が中島義道に代表される自らの言葉に責任を持つという思想に惹かれることへのルーツも、やはりマリリン抜きにしては語れないという気がします。

 

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(ブライアン少年と、自分の息子が将来アンチクライスト・スーパースターになるとは知る由もない父)


なお、マリリンが実体としての神や悪魔を信じているという発言は私の思い出せる限り読んだ記憶がありません。これらはあくまで象徴としての話でありますが、かといって完全なる無神論者というわけでもないようで、何かしら超越的なものの存在は信じているとインタビューでは述べています。

 

(つづく)

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マリリンと私1

みなさん、マリリン・マンソンをご存知でしょうか?

89年に結成された、フロントマンことマリリン・マンソン率いるアメリカのロックバンドであり、90年代のインダストリアルロック、ショックロックシーンを代表する音楽作品の数々を生み出したバンドでもあります。
私の友人である方々は一度は名前を聞いたことがあるかと思いますが、我が人生の師匠であり、ヒーローであり、長年の心の支えでもあるこのスーパースターについて、私なりの視点から改めて紹介記事を書いてみました。

 

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出会い


私がマリリンを発見したのは、小学校六年生のときに出会ったバンドの3枚目のスタジオアルバム「Mechanical Animals」がきっかけでした。

そもそも私がこのCDを手に取ったのは、「この人、男なの?女なの?」という素朴な疑問から。白塗りの面長の顔に、両性具有風の特殊メイクを施した体、そして「マリリン」という女性名を冠したバンドネーム。何から何までややこしい・・・。

そんなこんなで音楽への探究心というよりは、純粋な好奇心から視聴コーナーへ。

メカニカル・アニマルズ

メカニカル・アニマルズ

 

しかし一曲目「Great Big White World」がかかるやいなや、イントロの物悲しげなギターの音色、次いで入ってくる小気味良いドラムのリズム、そしてそれまで出会った音楽の中では決して聞いたことのなかったマリリンの這うようなボーカルで、完全にノックアウトされてしまいました。(ちなみに男でした)

 

今にして思えばマリリンは私にとって「ロック」への入り口であり、「洋楽」への入り口であり、そして何より「知性と反抗のアート」への入り口でした。

中学に上がって初めての誕生日、アマゾンチケット三万円分を両親にプレゼントしてもらった私は、さっそく彼の全アルバム、DVD、発言集、そして自伝に至るまで、あらゆるマリリン関連グッズを買い漁りました。そのくらい当時の私にとって彼との出会いは衝撃的だったのです。

 

さて以下、私なりにマリリン・マンソンというバンドの魅力となるポイントをまとめてみました。

 

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①おしゃれマンソン

日本だとマリリンのファンとビジュアルロックのファンはかなり層が被っているようです。最近でいうならX-JAPANのYoshikiとの交流が有名ですし、それ以前からL'Arc〜en〜Cielのhyde が彼に影響を受けたと明言している他、ゴシック・ロリータファッション雑誌KERAにてしばしば関連記事が掲載されたことなどからも、この辺りの繋がりが伺えます。
私自身日本のビジュアルロックにはあまり明るくないのですが、やはり彼の見た目の奇抜さが当時の私にとって衝撃的であり、今尚彼の大きな魅力の一つであることは間違いありません。


以下、デビューアルバムから90年代の三部作にかけて、順を追って彼のビジュアルの変遷を代表曲PVと共に紹介していきます。


「Portrait Of An American Family」(1994)

今にしてみるとかなり初々しくて素朴な印象。そして眉毛が生えている(!)

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この頃、バンド名はまだMarilyn Manson And The Spooky Kids(マリリン・マンソンと不気味な子供達)でした。「◯◯と愉快な仲間たち」を地でいくような名前に、ちょっとほんわかしますね。

 

この頃の個人的お気に入りPV「Dope Hat」

映画「チャーリーとチョコレート工場」に登場する主人公ウィリー・ウォンカに扮したマリリンや、エッチなお姉さんの体にチョコレートシロップを塗りたくる偽ウンパルンパたちが楽しめます。著作権大丈夫なのか?という素朴な疑問は置いておくとして・・・。

ちなみにリメイク版「チャーリーとチョコレート工場」のウィリー・ウォンカ役候補には当初マリリンの名前が上がっているという噂がありましたが、監督候補だったゲイリー・ロスは「俺がマリリン・マンソンなんかキャスティングするわけないだろ!狂気の沙汰だ!(“I would never cast Marilyn Manson in a billion years! It’s insane!”)」と大否定しておりました。


「Antichrist Superstar」(1996)

Wormboy(蠕虫少年)という収録曲などからも見て取れる通り、この頃のビジュアルには幼虫や羽虫のイメージが頻繁に登場します。Antichrist Superstar, Mechanical Animals, Hollywood三作品を通じて語られる物語の一つである、「虫けらのような少年がいかにして怪物になっていったか」というあらすじになぞらえてあるようです。

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全体的にひびわれた、ざらついた質感のあるイメージが多数。前作の頃と比べると明らかに洗練されているのがわかります。


私の大好きな白カラコン。

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ヒット曲「Beautiful People」のPVは90年代ロックシーンを代表する傑作といっても過言ではないでしょう。

ちなみに同アルバム収録の「Tourniquet」(止血帯、なんて良いタイトル!)PVのビジュアルに感銘を受けて、マリリンの子供時代のスターだったデビッド・ボウイが監督フロリア・シジスモンディに自らの「Dead Man Walking」PV監督を依頼するなどという感慨深いエピソードもあります。


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攻撃的なサウンドとは裏腹に、自傷の傷跡の生々しい、肋の浮き出た華奢な体が、どこか少女的な独特の脆さを漂わせています。私に言わせると、マリリンは激しい怒りや攻撃性と共に、常に何かしら傷ついた者のイメージを帯びたアイコンでもあるのです。


「Mechanical Animals」(1998)

初めて聞いたアルバムともあって個人的な思い入れの特に大きな時代。

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この頃のマリリンはどこか物憂げで、虚ろな表情を浮かべ、中性的な格好をした写真が多いのが特徴です。というのもこのアルバムそのものが「Omega and the mechanical animals」と言う宇宙人率いる架空のバンドによるロックアルバムという体で発売されたものだから。おそらくここでの彼はバンドのフロントマン(フロントエイリアン?)ことオメガになりきっているのでしょう。

歌詞の中にも「宇宙」「星」「空虚」といった言葉が頻繁に登場し、地球で知らない人間たちに囲まれ、あれよあれよというまにロックスターとして担ぎ上げられ、持てはやされながらもその実ショウビジネスの世界に翻弄されるオメガの孤独な心中が伝わってくるようであります。

 

「Dope Show」のPVでは、オメガが地球に降り立ってからロックスターとして売り出されるまでのストーリーを見ることができます。

 

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マリリンは子供時代、デビッド・ボウイ、ルー・リードなどに代表されるグラム・ロックに大いにインスパイアされました。宇宙人バンドのアイデアは間違いなくボウイの「ジギー・スターダスト」からの影響ですし、随所にみられるきらびやかでフェミニンなイメージも一群のアーティストたちを模したものと思われます。細身で長身なので、見事にスーツが似合いますね。

 

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映画「マトリックス」の主題歌となった「Rock Is Dead」PVに登場する奇抜なシースルー。滑稽ギリギリ、というかやっぱちょっと笑えるんですが、そんなところもご愛嬌。プロモでも変顔連発してます。

 

「Holly Wood: In The Shadow Of The Valley Of Death」(2000)

 三部作の中で最も攻撃的かつ、サウンド・ストーリー共に重たいと言われているのがこのアルバム。詳細はのちに述べますが、コロンバイン高校の銃乱射事件で巻き起こった批判により音楽シーンから半ば追放されかけていたマリリンの、怒りと闘いの意思が込められたアルバムでもあります。楽曲の収録中、作業に集中するあまり過労により救急車で運ばれたりもしていました。

まったく余談ですが、私の10歳の誕生日当日にリリースされている私的記念すべきアルバムでもあります。こんな素晴らしい誕生日プレゼントが他にあるでしょうか。

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メカニカル・アニマルズ時代から一転して、黒を基調としたかっちりとしたスタイルが特徴的です。サウンド面のヘヴィロック感がしっかりとビジュアルにも反映されており、派手さこそないものの、シックな格好良さに溢れています。

 

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この頃のライブはとにかく仕掛けやお色直しが多く、小道具も満載。2枚目はライブ名物のたけうマンソン。ステージパフォーマンスへの凝りっぷりは当時かなりの話題でした。

マリリンには名物MCがいくつかあり、「Irresponsible Hate Anthem」の"We hate love, we love hate"や、「Fight Song」の"Fuck everything!"(と、それに続く"...oh yeah, fuck the police too")なんかが代表的。

 

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アルバムの歌詞カードに挿入されていたバンドメンバーのタロットカード。トウィッギー、ジョン5、ジンジャー、ポゴ、今はなき過去メンバーが懐かしい。この頃、唯一坊主だったのではないかな。

 

就活のストレスの最高長期、面接前に訪問先の企業のトイレにこもっては聞いていた「Fight Song」

スポーツに縁のないマンソンが珍しくアメフトプレイヤーたちを登場させていますが、おそらくは現代アメリカ社会への批判という皮肉を込めてのことでしょう。(バンドがパフォーマンスするステージの背景には、でかでかと「We're Happy To Live In America」/俺たちアメリカに住めてハッピー、の文字が)

少々話が逸れますが、全くと言っていいほどマリリンはスポーツというものに関心を示しません。ティーンエイジャーの頃近所のベースボールグラウンドの隅っこで済ませたお粗末な初体験が何か関係しているのではないかとは本人の推測より(性の目覚めに関しては、自伝でかなり詳細に読むことができます)

 

これら奇抜かつスタイリッシュなビジュアルはそれ自体ですでに十分魅力的であるだけでなく、「マリリン・マンソン」というブライアン・ワーナー少年のある種のコスプレであるという点でも、私にとって新鮮でした。コスプレだからこそ非日常的な格好ができるし、非日常的な歌が歌えるし、非日常的なステージパフォーマンスが行えるわけです。いわば元虫けら少年ブライアンが発明したロックスターのペルソナ、それがマリリン・マンソンともいえます。今思えば私が学生時代10年間役者として演劇に関わったのも、類似の変身願望の表れだったのかもしれません。ただしブライアン少年に関して言えば、そのペルソナはすでに元の虫けら少年を不可逆的に変えてしまっているのですが。

ちなみに大学の頃、マリリンにインスパイアされて私自身も革ジャンにマリリンのバンドT、ガーターベルト風タイツ、赤いエナメルのパンプスみたいな格好をしていました。当時付き合っていた人が和柄好きだったためはたから見ると相当アクの強いカップルだったろうと思います。(元彼からの評価は低かった)

 

(つづく)

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農家ホームステイ

前回の長文記事『「生きづらさ」との格闘と、読書』を書いたあと、思いの外いろいろな方からコメントやリアクションをいただきました。書いているときは「こんなくっそ長い記事読む人いるのか・・・?」と自分でも半信半疑だっただけに、とても嬉しかったです。ありがとうございます。また、似たようなことを考えたことがある、感じたことがあるという人にも何人か出会えて、本当に書いたかいがあったと思いました。

今後もまた、何か自分の特に関心のある分野に関してアイディアがまとまったら記事にしていこうと思います。

 

さて、活動の話に戻りまして。

北部での研修で専門家の方から「推測ではなく、実際の調査に基づいて現地の生活を知ること」の重要性を教えてもらい、自分なりに何かできないかと考えた結果、農家さんにホームステイをしてみました。

理想を言えばわたしの支援対象となる小規模農家さんの生活を観察したかったのですが、セキュリティーの関係もあって現地スタッフが紹介してくれたのはLC3と呼ばれる、地元のリーダーをかつてやっていたチャールズさんのお家でした。生活水準としてはウガンダの小規模農家の平均よりもはるかに上。それでも外から眺めるだけでは気づけなかった文化的な違いが山ほどあって、とても勉強になりました。

 

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泊まったお家の外観。敷地の中には三つ建物があって、一つは賃貸で現金収入の糧にしているそう。写真は左からチャールズの娘さんマストゥーラの寝室、キッチン、そしてマストゥーラの子供達の寝室。


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ナッジャ、ニェンガ周辺では家畜として牛、ヤギ、ニワトリ、豚を飼うのが一般的。

わんちゃんは夜に番犬をして不審者を追い払ってくれます。日本のようにドックフードではなく、家族のご飯の残り物を夜にあげていました。


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今回初体験だった外での水浴び。敷地の裏手にあるので他の人からは見えないものの、完全な吹きっさらし笑 ここで日差しの強い夕方にぬるい水で体を洗うの、結構気持ちよかったです。

 

ご飯シリーズ

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ホームステイ期間中のご飯をひたすら写真に撮りました。こうして並べてみるとよくわかるのですが、マトケ、ドーナッツ、ごはん、サツマイモ、キャッサバ・・・などなどとにかく炭水化物が多く、ビタミン源が少ない!調理過程を観察すると、油をかなり多めに使うので、カロリーも高め。舌が慣れてきて味は結構美味しく感じるのですが、栄養バランス的には色々と改善の余地がありそう。

ウガンダの食事で特徴的なのは、時間の違い。朝ごはんの時間は日本とさほど違わないのですが、お昼は14〜15時、夕飯は22時以降と、全体的に後半が遅い。チャールズさん宅では19時頃に一度軽食の時間がありましたが、これは他の現金収入の少ない家庭でも同じかどうかは不明。

 

ウガンダは性別における役割分担のはっきりした国で、リーダーの役職にもちらほらと女性は見られるものの、一般的な農家さんの家では男女の労働区分が明確になされています。ホームステイ最初の二日間、子供達と女性と集中的に時間を過ごしたのでこの辺りはかなり分かり易かったです。

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食材のほとんどは自宅の庭にあるマトケ、さつまいも、キャッサバなどを収穫したもの。数字で見ると平均の現金収入が低くても、この辺りでは食べ物に困っていない人がとても多いのは、庭でこれらの主食野菜をみんな育てているからなんですね。


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かなり大きなお家でも、いわゆる「キッチン」があるところはウガンダではほとんど見ません。洗濯、皿洗いなどの水仕事はプラスチックのタライを使ってその都度外でしています。洗濯物を干すのも、お皿を乾かすのも外。これらは女性と子供の仕事で、特に子供達は小学生くらいの子まで家事手伝いに参加していました。

ウガンダには年配の方を敬う文化が深く根付いていて、日本のようにおじいちゃんおばあちゃんが孫を猫可愛がりするというよりも、子供たちは家族の年配のメンバーのために色々な家事をする役割を負っているという印象。お客さんが来た時にお茶や椅子を出すのも小さな子供達。しつけも結構厳しくて、いうことを聞かない子供がお尻を叩かれて泣きじゃくっている場面に遭遇しました。

家の外には写真のようなテラス?が必ずあって、調理、洗濯、団欒の場など、屋外での活動の主な場になっています。お客さんが来た時はここにゴザを引いて、おもてなしをしていました。


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キッチンの中にはかまどが二つと乾燥な棚があるのみ。下は料理をしているマストゥーラの長女。カメラを向けられてはにかむ表情が愛らしい。

 

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地元のカトリック系の教会。平日の昼は私立のプライマリースクールになります。見学がてら現地語で挨拶をしました。

 

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ホームステイ中、地元の貯蓄グループがチャールズ宅で集会を開いていました。メンバーで定期的にお金を出し合って、必要なときに貸し出しを行なったりするそう。お金は銀行に預けるのではなく鉄の箱に入れて南京錠をかけ、箱と鍵を違うメンバーが管理することで勝手な持ち出しが出来ないようにしているのだとか。

 

畑 

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後半二日はチャールズの畑へ。両親から受け継いだかなり大きな土地を持っていて、サトウキビやピーナッツ、トマトなどを育てていました。土地の一部は他の農家さんに貸し出して、そこでは水稲の稲作もやっています。今はちょうど鳥追いの時期で、2枚目は鳥追いの人が使う簡易の日陰スペース。ウガンダでは稲作の鳥害が深刻で、種まき直後と収穫前の時期は畑に農家さんが一日中張って鳥から稲を守ります。「稲作の課題は何かありますか?」ときくと、多くの農家さんが鳥追いの大変さを挙げるほど。

ナッジャは水の豊富な地域で、写真のように小川や沼地の水を灌漑で引いて使用している農家さんがたくさん見られます。写真の灌漑は木材と砂を詰めたサックで手作りしたもので、水をせき止めたり放流したりするたびに手間がかかるのでなんとかできないかという相談がありました。灌漑の専門家さんとお話しする機会があったので、今度改善の余地がないか聞いてみる予定です。

 

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過去のボランティアが発明した、米の正条植えのためのマシン。国内各地の溶接工でも作れるよう、地方でも手に入る資源だけを使って作られているそう。現在ボランティア全体でこれを広めていこうという動きがあって、私も自分のコミュニティになんらかの形でこれを紹介できたらなと思っています。

 

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畑で作業中、ウガンダで初めて電車をみた!びっくり!(めっちゃ見にくいけど真ん中


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チャールズの畑をぐるりと取り囲む大型のサトウキビプランテーション。インドの会社が所有している土地だそう。サトウキビは米と同じ換金作物で、手はかからないけれど栽培まで一年半かかる分、儲けは少ないのだとか。

 

今回数日だったけれど色々な気づきがあり、また任地訪問のホームステイ以降初めて現地の人と濃密な関係を結べたのも嬉しかったので、可能であれば、もっと規模の小さな農家でもまたできないかなと思っています。より小規模農家の生活の実情を知るために。