ウガンダ生活

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「生きづらさ」との格闘と、読書4

手段の目的化

「愛するということ」は平易な言葉で書かれた、非常に読み易い本です。しかしそこに書かれた理論の実践は全く簡単なものではないということを、その後今に至るまで私は痛感し続けることとなります。

はれてマネージャーになり、一年半ほど管理職を務めたあと、私はチームとも上司ともうまくいかなくなり降格を通達され、当時の彼氏とも別れて、自暴自棄の末3ヶ月の休職を取得するという凄まじい転落ぶりを見せました。ふんだりけったり・・・笑

「エーリッヒ・フロム先生のありがたい、ありがたいお言葉をあれほど毎日念仏のように唱えていたのに、どうしたわけだろう?」

船橋法典の一人暮らしのアパートで一人首をひねって考えていた頃、丁度当時ベストセラーになっていた岸見一郎著「嫌われる勇気」を手に取る機会がありました。フロイトやユングに比べてそれまで日本で知名度の低かったアルフレッド・アドラーの名前を、一躍知らしめた一冊です。

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

 

内容あらすじ:

 「あの人」の期待を満たすために生きてはいけない――
【対人関係の悩み、人生の悩みを100%消し去る〝勇気〟の対話篇】

世界的にはフロイト、ユングと並ぶ心理学界の三大巨匠とされながら、日本国内では無名に近い存在のアルフレッド・アドラー。
「トラウマ」の存在を否定したうえで、「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」と断言し、対人関係を改善していくための具体的な方策を提示していくアドラー心理学は、現代の日本にこそ必要な思想だと思われます。

本書では平易かつドラマチックにアドラーの教えを伝えるため、哲学者と青年の対話篇形式によってその思想を解き明かしていきます。
著者は日本におけるアドラー心理学の第一人者(日本アドラー心理学会顧問)で、アドラーの著作も多数翻訳している岸見一郎氏と、臨場感あふれるインタビュー原稿を得意とするライターの古賀史健氏。
対人関係に悩み、人生に悩むすべての人に贈る、「まったくあたらしい古典」です。

フロイトの精神分析に触れて、何もかもを家庭環境のせいにしていた私に、ここで冒頭からいきなり痛烈なパンチがお見舞いされます。

アドラー心理学では、過去の「原因」ではなく、いまの「目的」を考えます。

われわれは原因論の住人であり続けるかぎり、一歩も前に進めません。 

有名な「トラウマの否定」です。

私たちは過去の原因に規定される存在ではない、それどころか私たちにとって好ましくない結果のように見えるものはしばしば、自分の意思・目的にかなった要請ですらあるという。

例えば、赤面症があるから好きな人に告白できないという女の子に、この本の「賢者」はこう諭すわけです。「好きな人にありのままの自分を拒否されるという最悪の結果を拒むために、あなたは赤面症を必要としているのではありませんか?」

この発想には唸りました。

これを基にすればつまり、私は「親との関係がうまくいかなかったから、生きづらさを抱えている」わけではなく、「ありのままの自分を否定されるのが怖いから、親とうまくいかなかった自分という理由を必要としている」ということになります。親子関係の失敗という材料が手元になければ、他人との関係構築の失敗や、「生きづらさ」を誰のせいにもできない、つまり他でもない自分自身にその原因を求めなければならなくなるというわけです。

アドラーによればあらゆる悩みには他者の影が介在しており、つまり全ての悩みは人間関係の悩みなのだと断言します。「嫌われる勇気」というタイトルの通り、著者は下記のようにメッセージを集約させていきます。

他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを怖れず、承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、自分の生き方を貫くことはできない。

つまり、自由になれないのです。

他人から愛されるために邁進してきた私には、もはや一種の死刑宣告・・・しかし、納得のいく話ではありました。というのも、そもそもは「生きづらさ」から解き放たれて幸せになるために愛されたいと思っていたはずが、いつのまにか愛されることが私にとって至上の目的と化していたからです。手段の目的化によって私は混乱していました。