ウガンダ生活

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「生きづらさ」との格闘と、読書9

意味の向こう側

ここから、私の興味は哲学・社会学・心理学から、急激に科学の分野へ移行していきます。

自分の「生きづらさ」を分析・解体するために、私はこれまでずっと社会の中における人間の「あるべき姿」に目を向けてきました。けれど今やこの「べき」こそが現実と理想のギャップとなって私に新たな「生きづらさ」を感じさせるという、まさに悪循環の中に私はいました。

このようなフィルターを取り除き、人間が現在「あるがままの姿」、また私たちを取り囲む世界のあり方そのものを学びたい、自分の中の「べき」を手放したい。これが私の新たな望みとなりました。ここまでくると、我ながら自分の切実さが笑えてくるのですが・・・。

この頃丁度、亡くなった父が私に残したスティーブン・ホーキングの各著作を読み始めました。

ホーキング、宇宙のすべてを語る

ホーキング、宇宙のすべてを語る

  • 作者: スティーヴン・ホーキング,レナード・ムロディナウ,佐藤勝彦
  • 出版社/メーカー: ランダムハウス講談社
  • 発売日: 2005/09/30
  • メディア: 単行本
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内容あらすじ:

私たちは、宇宙について本当は何を知っているのでしょうか?
私たちが正しいと思っていることは、本当に正しいのでしょうか?
宇宙はどこから来て、どこに行くのでしょうか?
『ホーキング、宇宙を語る』でも取り上げていたこの根源的な問題に対して、現代までに考えられてきた重要な発見・理論のポイントを、よりわかりやすく説明するとともに、最新の理論や観測の成果を盛り込んだ、ホーキング博士待望の新刊!
第1章「宇宙について考える」に始まり、時代によって移り変わってきた宇宙像や科学理論、最近の進歩などを、私たちの身近にある例を用い、平易な言葉で語っています。

宇宙の始まり・終わり、ブラックホール、量子力学といったテーマは、その難解さに頭を抱えさせられつつも、まさにこの世の摩訶不思議という「良質な詩」を私に届けてくれました。世界はそれそのもので、すでに十分な驚きであり、不思議であり、そして何より美である。最先端の宇宙科学が私に示してくれるのは、このような世界観です。

自分の価値を確かめたくてかつて社会に向けられていた私の目は、やがて社会の表面を通り過ぎ、意味や価値の表面を通り過ぎ、その向こうの「ただ存在している」というあり方について考えるに至ります。理由なく存在することが、「無価値」や「悪」なのではない。「ただ存在する」ということに、私たち人間文化の価値判断が意味を被せているだけなのだと。

実はここまで延々と書いておいて、上記のように考えられるに至った決定打を私は覚えていません。おそらくは年数を経るにつれて徐々に考え方が変わっていったという側面が大きかったと思います。

こんな風に「ただ存在する」という選択肢を、己の生き方として受け入れ始めた時に、私は以前の自分よりも少しだけ恐怖や不安を手放せるようになり始めました。

これまでの私のあがきの全ては、「存在するための理由」の獲得に向けられていました。それこそがわたしの「生きづらさ」の核でした。けれど改めて周囲を見渡してみれば、「ただ存在している」のでないものなど何一つ見当たらないどころか、それこそが存在そのものの本質であるということに行き当たります。

そもそも、「存在している」とはなんなのでしょう?

松原隆彦さんの「宇宙に外側はあるか」は、私にそんな素朴な疑問を投げかけてくれた一冊でした。

宇宙に外側はあるか (光文社新書)

宇宙に外側はあるか (光文社新書)

 

あらすじ内容:

21世紀の現代、人類は観測技術の発達などによって宇宙を見る目が大きく開かれつつある。いま、宇宙の何がわかっていて、何がわかっていないのか? 宇宙の全体像とは? 宇宙の「外側」とは? 「奇妙な謎」に包まれた人宇宙を人類はどこまで知ることができるのか? 気鋭の研究者が、誰もが一度は考えたことがある「究極の問い」に真正面から迫る、宇宙論のフロンティアへと旅立つ一冊。 

「何かが存在」していると言うとき、私たちはその対象物と時空の中に位置づけて思い浮かべる必要があります。しかし時間と空間は絶対のものではなく、相対的なものであり、それはこの宇宙の誕生とともにその中に生まれたものだと、科学は説きます。私は時間も空間をともなわない「何か」を想像することすらできません。その「何か」が宇宙の前にあった、と表現するためですら、「前に」(時間)「あった」(空間)という概念を必要としてしまうからです。「存在」を「非存在」と対置することのできない私にとって、「存在している」とはそれが何であるかを明確に述べられるような、理解可能な概念ではないのです。科学は今、明らかに人間の認知の限界に触れています。

こんな風にして宇宙科学、量子力学は、これまで当たり前に捉えていた世界それ自体がすでに私の理解の範疇を優位に超えていることを教えてくれました

神秘主義者マイスター・エックハルトは「認識しえないもの」としての神について繰り返し触れています。私はキリスト教やイスラム教の描く一神教の神がこの世界を作ったとは信じていませんが、そもそもこの世界が存在していると言うことそのものが、それ自体すでに神の概念に匹敵する不思議であり、超越性であると感じるようにはなりました。