ウガンダ生活

ウガンダ・ブイクウェの生活を実況中継中

マリリンと私4

⑤賢いマンソン

バンドの人気絶頂期だった1999年、ある恐ろしい事件がアメリカで起きました。かの悪名高きコロンバイン高校銃乱射事件です。

 

コロンバイン高校の生徒、エリック・ハリス(Eric David Harris)とディラン・クレボルド(Dylan Bennet Klebold)が銃を乱射、12名の生徒と1名の教師を射殺し、両名は自殺した。重軽傷者は24名。アメリカの学校における銃乱射事件としては、犠牲者数において1966年に起きたテキサスタワー乱射事件に次いで大規模なものであった(発生直後において。その後2007年に33人が死亡したバージニア工科大学銃乱射事件が起きた)。

 

日本でも当時かなり大々的に取り上げられていたので、覚えてる方も多いのではないでしょうか。

自殺した犯人二人の動機を巡って、アメリカでは当時マスコミによって様々な娯楽作品が非難の的にされました。「マトリックス」、「バスケットボール・ダイアリーズ」、残酷なビデオゲーム・・・その矛先に立たされたのがマリリンだったのです。

後々になって犯人二人はマリリンのファンではなかったと判明するのですが、当時この件に関するバンドへのバッシングは激しく、メカニカル・アニマルズツアーは中止に追い込まれ、ラジオは彼らの曲を流すのを止めました。

これに関しては事件の背景を探ったマイケル・ムーア監督のドキュメンタリー映画「ボウリング・フォー・コロンバイン」が詳しく、監督とマリリンのガチンコインタビューもばっちり収録されております。

 

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 少々長くなりますが、かなり秀逸なので引用します。

俺が槍玉に挙げられた理由ははっきりわかる、なぜなら俺の顔をテレビに映しておけば都合がいいからだ、結局俺は恐怖の象徴なんだ。俺は人々が恐れるものを体現してる、なぜなら自分の言いたいことをやって、やりたいことをするから

(I definitely can see why they would pick me, because I think it’s easy to throw my face on a TV, because I’m, in the end, sort of a poster boy for fear. Because I represent what everyone’s afraid of, because I do and say what I want.)

だってテレビをつけてニュースを見れば、みんな恐怖を詰め込まれる。洪水だ、エイズだ、殺人だってね。コマーシャルに切り替わったら、今度はアキュラを買え、コルゲートを買えって(※)。息が臭かったら嫌われるぞ、にきび面だと女の子とヤれないぞって。恐怖と消費のキャンペーンなんだ。それが全ての基板になってる。そうやってみんなに恐怖を植え付けて、消費を促す。

(‘Cause then you’re watching television, you’re watching the news; you’re being pumped full of fear. And there’s floods, there’s AIDS, there’s murder. You cut to commercial, buy the Acura, buy the Colgate. If you have bad breath, they’re not gonna talk to you. If you got pimples, the girl’s not gonna fuck you. It’s a campaign of fear and consumption. And that’s what I think that’s it’s all based on, is the whole idea that: keep everyone afraid, and they’ll consume. )

※アキュラはホンダの高級車ブランド、コルゲートはアメリカの口腔衛生用品ブランド

 

映画の中で、マリリンはなぜ自らが当時槍玉に挙げられたのかを分析し、このような事件の背景となるアメリカの消費社会のあり方について自らの考えを述べます。資本主義とはすなわち「あなたは今のままではいけない」という恐怖をベースとした広告コミュニケーションを通じて人々に絶えざるモデルチェンジを促す仕組みです。このようにして社会に組み込まれた恐怖が、アメリカ独特の銃社会という文化と結びつき、人々のヒステリックな反応を呼び起こすというわけです。

これこそはまさに、「A Portrait Of An American Family(あるアメリカのひと家族の肖像)」というタイトルのアルバムでデビューし、常にアメリカ社会独自の問題と向き合ってきたマリリンの真骨頂が垣間見えた瞬間でした。

 

ここでマリリンが触れている鏡像としての「マリリン・マンソン」というイメージは、実は以前から作品やインタビューにもしばしば登場していました。

マリリン・マンソンとはブライアン・ワーナーが作り上げたキャラクターであるだけでなく、オーディエンスがそこに「自らの見たいものを見出す」、ある種真っ白なキャンバスのような存在でもあるのです。この観点をもってして、彼の作品の暴力性・反社会性を指摘するキリスト教徒や保護者団体に対し、彼は常に彼らが感じている脅威は本当のところ彼ら自身に根ざしているのではないか?という大いなる疑問を突き付けてきました。マリリンはこんな風にして己自身を素材としながら、メタ的に社会の現状をあぶり出していきます。このことからも、90年代にマリリン・マンソンがアメリカにおいて一種の社会現象であったことは必然だったと言えるでしょう。

 

事件の三年後に公開されたこの映画作品によって、それまでファンの間でのみ知られていたマリリンの知的な一面は一挙に知れ渡るところとなりました。ムーア監督自身彼の回答にはかなり感銘を受けたようで、マリリンのインタビュー後の数十分間、映画は彼による現代アメリカの消費社会の分析をなぞっていきます。

皮肉な話ではありますが、バンドの活動に大きな影響を与えたこの事件が、かえって一般的なマリリンのイメージを変えることになったのでした。

 

インタビューの最後を、マイケル・ムーアは「もしも今ここにコロンバイン高校の子供達や地元の人々がいたら、彼らにどんな言葉をかけますか?」という質問で締めくくります。

これぞデビュー以来虐げられたキッズに寄り添ってきた彼ならではの、知性と優しさに裏打ちされた返答といえるでしょう。

 

何も言わない。ただ黙って彼らの言いたいことを聞く。誰一人としてそれをやらなかった

(I wouldn't say a single word to them. I would listen to what they have to say, and that's what no one did.)」

 

⑦マリリン・"ソフト"・マンソン

数あるマリリン・マンソンの楽曲の中でタイトルに"Love"が入っているのは、「Holly Wood」収録の「The Love Song」の一曲のみですが、この歌は全くもってラブソングではりません。しかし、マリリン・マンソンのラブソングは確かに存在します。ただ知名度が低いだけで。

ここでは最後にマリリンの恋愛事情、それに関連して彼のソフトな一面を知ることができる楽曲群についてご紹介したいと思います。

 

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(元婚約者の女優ローズ・マッゴーワンと)

 

「Mechanical Animals」発売当時、前作「Antichrist Superstar」の攻撃的なサウンドとのギャップには多くのファンが驚きました。この変化の裏には彼自身の「同じことをやりたくない」というある種の矜恃があったことは勿論ですが、当時の私生活のパートナー、女優ローズ・マッゴーワンとの関係の影響も間違いなく大きかったでしょう(同アルバム収録曲、「Coma White」のPVには元大統領ケネディ夫妻に扮したマリリンと彼女が登場します)

実はマリリン、私生活のパートナーがそのときどきの作品に及ぼす影響が少なくないらしく、必ず彼らをPVに出演させたり、あるいは自らの映像作品の出演者にキャスティングしたりします。有名なところでは元妻で、ピンナップガールのディータ・ヴォン・ディーズが「mOBSCENE」に文字通りのカクテルガールとして登場していました。

コロンバイン事件の余波などもあって三部作最後の「Holly Wood」は興行的には振るわなかったのですが、「mOBSCENE」を収録した「Golden Age Of The Grotesque」(2003)では今PVでグラミーのベスト・メタル・パフォーマンスにノミネートされるなど、見事なカムバックぶりを見せつけていました。

 

しかし作品そのものへの食い込み度合でいうと、その後の交際相手である女優レイチェル・エヴァン・ウッドほど存在感のあった人はいないでしょう。

他の元カノたち同様PVへの出演("Heart Shaped Glasses(When The Heart Guides The Hand)")は勿論ながら、彼女の場合は何と言っても破局後の作品にまで影を落としたところが特異でした。

別れの後最初にリリースしたアルバム「The High End Of Low」(2009)は、旧来のファンをどよめかせるようなどストレートなラブソング、「Devour」で幕を開けます。そしてマリリンをしてこの悲痛なラブソングを書かしめたのが他でもない彼女だったのです。

 

I can't sleep until I devour you

お前を貪るまで俺は眠れない

 

And I'll love you if you let me

and I'll love you if you won't make me stop

お前が許してくれさえすれば俺はお前を愛する

お前が止めさえしなければ俺はお前を愛する

 

この曲に関してはマリリン本人がその背景を述べており、なんでもレイチェル・エヴァン・ウッドを殺して自らも自殺しようと企図していた日の三日前に書かいたものとのこと。彼女へのマリリンの入れ込みようには相当なものがあり、これ以外にも2008年のクリスマスには彼女に158回電話して、その度に顔やら手やらをカミソリで切ったのだとか。正直アンチクライスト・スーパースター云々よりこっちのがよっぽど怖い・・・。

一方彼女にとってマリリンとの関係は苦痛に満ちたものだったようで、その後のMe Tooムーブメントの中では彼から受けた精神的・肉体的暴力を告発しています。

「Mechanical Animals」にもいくつか"love"というフレーズのちらつく物憂げな歌はありましたが、ここまで正面きったラブソングはおそらくこれが唯一でしょう。他にも同アルバムには「Leave A Scar」「Into The Fire」など悲痛な愛の歌が複数収録されています。恋に破れた、傷心のメンヘラアンチクライストスーパースターに興味のある方にはオススメのアルバムです。

 

 

 

以上、私なりに既存の紹介記事とは少し異なった観点からマリリンの魅力をまとめてみました。音楽性に関しては、詳細かつクオリティーの高い記事がネットに山ほどあると思うのでそちらを参照されたし・・・。

 

さてはて、そんなこんなで今年で私のマリリンファン歴もいよいよ16年目に差し掛かりました。実を言うと英語の勉強を始めたのもマリリン・マンソンがきっかけでした。彼に出会っていなければ、おそらく中学のカリフォルニアホームステイも、国際高校への進学も、カナダへの留学も、そしてウガンダへの冒険もなかったことでしょう。

音楽は人生を変えるとはまさにこのこと。

 

これをきっかけにマリリン・マンソンに興味を持ってくれる方が少しでもいれば幸いです、You fuckin' asshole!

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