ウガンダ生活

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「自分」という相棒(1/5)

あなたは自分のことが好きですか?

この質問に手放しで「はい」と答える人を、私は心から羨ましく思います。そして「いいえ」「わからない」と答える人に共感します。

 

私は自分のことがあまり好きではありません。また、好きではないからこそ「自分を好きになる」ということに関して長い間考えても来ました。

自分を好きになるとはどういうことなのでしょう。人はどのような精神状態において、あるいはどのような行為において自分を好きになったり、嫌いになったりするのでしょう。そして、「自分」とはそもそも一体どのような存在なのでしょう。

 

というわけで今回は私の人生の大きなテーマである「自分を愛する」ということについて記事を書いてみました。

 

尚、話の性質上、今回の記事は『「生きづらさ」との格闘と、読書』と重複する内容を含みます。

 

自己改造の試み

 おそらく多くの人と同じように、自分を好きになるために私は長年自分をつくりかえようとしてきました。

「自分の◯◯なところが嫌いだ」という気持ちに対して、その◯◯を反転させる(運動ができないのであれば運動ができるようになる、モテないのであればモテるようになる、コミュニケーション下手なのであればコミュニケーション上手になる、etc)ことで自分を好きになることができると信じていました。

このような考え方に基づいて私は卒のないコミュニケーションを心がけ、周囲にとって理解ある友人・彼女、そして知性的な自立した個人になることを目指してきたわけです。

 

結果から言えばこれらはどれもある種の経験であり、そういった意味では私の人生を豊かにしてくれました。けれどこの記事の主題である「自分を愛する」ということにおいて、上記のような考えは私にとってより自己嫌悪を強めるものになりうることに、後になって私は気付きました。

 

条件付きの肯定

人は様々な形で他人を受け入れたり、あるいは拒否したりしますが、そういった関係のあり方の一つとして条件付きの肯定というものがあります。これはつまり「あなたが◯◯だったら、あなたを受け入れるよ」というメッセージです。◯◯の中にはまたも、勉強ができる、友達をつくれる、親の言うことを聞くなど、あらゆる言葉が入り得ます。

 

条件付きの肯定はしばしば動機付けに用いられます。

私たちはルールを守る人を肯定することで、ルールを破る人間をコミュニティから排除します。排除への恐怖が秩序維持の動機となる仕組みです。

他にも己の能力の育成を促す上でもこのような動機付けは有効です。例えば「英語が喋れれば、自分はもっといい仕事に就ける」と考えて語学の勉強に励む人は、これによって新しいチャンスを手に入れることができるでしょう。

けれどもこの方法は子育てや、親密な人間関係を築く上では好ましくありません。「あなたが◯◯だったら、あなたを受け入れるよ」というのは、裏返せば「◯◯でないあなたは受け入れられない」ということでもあります。

そしてこれこそが長年、私が自分を好きになるために自分に対してやろうとしていたことだったのです。

 

人間は意思に基づいて行動する生物ですが、同時にその意思は行動によっても作られていきます。

例えば不眠症の人が睡眠薬を飲むとき、睡眠薬を飲むという行為そのものが「私は薬なしでは眠れない人間である」という自己認識を強め、かえって睡眠薬への依存度を高めるという報告があります。

自分を嫌いな状態の人間が、自分を好きになるために外面的な成長を目指すことは、「ありのままの私では受け入れられない」という自分の信念を強化することになり得ます。一見人生に情熱的な人がしばしば神経症的様相を呈するのは、このような不安が動機に隠されている場合です。

 

「自分が◯◯であれば、自分のことを好きになれる」という信念に基づく努力は、このようにしていつのまにか私の気づかぬうちに「◯◯でない自分は好きになれない」という信念を強化していきました。

 

(つづく)

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