ウガンダ生活

ウガンダ・ブイクウェの生活を実況中継中

ウガンダ観光2

カンパラ編

カンパラは首都研修で一ヶ月滞在したこともあり、モスクやマーケットなど主な場所は行ったことがあるのですが、この度友達と新たにいくつかの場所を開拓してみました。

 

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寮のすぐ近くにあるモールの映画館。「アベンジャーズ」シリーズ最新作公開直後ということもあってか、かなり混雑していました。

ちなみに私たちが見たのは「Little」とかいう、いかにも日本非公開ぽいコメディ映画。観客は自分たち含めて六人ぐらいしかいませんでしたが、結構面白かった。


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ポップコーンの香ばしい香り漂う売店。


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中は日本の映画館とほとんど同じ!一瞬、帰国したかのような錯覚に襲われました・・・

 

ナカセロマーケット近くにヒンドゥー教のお寺を発見。

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なかなか豪華な内装の建物内。どこの国でも、どんなに騒がしい街の中にあっても、宗教建築は一歩足を踏み入れるとどことなく静かな空気が流れていて落ち着きますね。


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敷地内でウガンダに来て以来初めて鳩を発見!

 

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カバカ・パレスという、ガンダ族の王様の宮殿の近くにある湖。カンパラはどこも人と交通量の多いごみごみしたところばかりだと思っていたのですが、こんなひっそりした場所があるとは知らず感動。

湖の周りにはまた見たことのない鳥が集まっていました。

 

ここからは、今回の旅で唯一私が強く希望した場所へ。

王様のパレスの敷地内に入り、右の脇道へ逸れて奥へ進むこと数分後、緑鮮やかな草地の奥にひっそりとした場所が。

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「ようこそ。この武器庫は1970年代後期にイスラエルによって建てられましたが、その後イディ・アミンによって拷問施設として使われ、ここで何万ものウガンダ人が殺されました」

かの悪名高きイディ・アミン元大統領のTorture Chamberです。

 

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二メートルほどの高さの塀に挟まれた道の先に薄暗い施設室内が見えます。使用されていた当時は扉がついていたのでしょうか。


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当時ここで少なくとも20万人以上の人が殺されましたが、建物の容量が足りないと言って、退任を迫られるまでアミンはもう一つ拷問施設を隣に建てる計画をしていました。その工事の途中だった土地を開いた場所が、入り口のすぐそばに今も残されています。

 

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中にはこのように五つのセルが横並びになっています。


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覗くと、窓が塞がれており、あかりもなく、中は真っ暗。使用されていた当時は鉄の扉が取り付けられいたそう。

また、写真には残していませんが壁には当時拷問された人たちが血のついた手で壁を触った手形がそのままで残されていました。


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収容者が逃げられないよう、セルの外には当時電気の通った水が張られていました。水の跡は今も生々しく壁に残っています。

 

アミン元大統領は自分への反対分子を誘拐させて、目隠しをして車に乗せては、パレス周辺の円環道路を何周も走らせ、その後彼らをパレス内にあるこの拷問施設へ連れて来たのだそうです。目隠しを取られる頃には拉致された人間は自分がどこか遠いところへ連れてこられたと思いこみ、このような恐ろしい拷問施設がまさか宮殿の中に位置しているとは夢にも思わなかったでしょう。実際にアミンの政権中、この施設のことは国民には知られていませんでした。

殺害された人数20万人とは、当時のウガンダ人口のおよそ17%に当たる数字であり、この数字からいかにアミンの粛清が際限のないものだったかを知ることができます。また、現在65歳以上の人間(当時の20代以上にあたる)がウガンダの人口において占める割合は1.9%以下となっており、東アフリカのなかでもこれは目立って低い数字です。

ガイドの人が「注意深く見ると、ウガンダにはお年寄りが少ないのに気づくでしょう」と言っていました。アミンの粛清は、彼の世代を生きたウガンダ人の数に著しいインパクトを与えるほどだったようです。

 

見終わった後、パレス外の公園で友人と話していて、「現代の日本も当時のこのようなウガンダの状況と根本的に違うわけではないのではないか」という言葉が彼から漏れました。

例えば、現在日本には入管収容施設がありますが、これらの施設においては収容者の人権が顧みられていないことが再三指摘されています。にも関わらずこのことはテレビで大々的なニュースとはならず、私自身難民支援協会のセミナーに参加するまでは知りませんでした。一部NPO/NGOやボランティアにより、インターネットでこれらの問題が発信されてはいますが、具体的なアクションを出入国在留管理庁が起こす、あるいはそれに至る世論の形成には未だ至っていません。

人権蹂躙は遠い昔の遥か彼方の国における昔話ではなく、今この瞬間、私の母国でも起こっている、そんな事実に胸を馳せるきっかけとなった言葉でした。

 

ちなみに、入管施設の問題については認定NPO法人難民支援協会のこちらのページで詳しく説明されています。

興味のある方は是非ご一読ください。

[特集]難民の「収容」とは何か?|活動レポート|難民支援協会の活動 − 認定NPO法人 難民支援協会 / Japan Association for Refugees

 

(つづく)

dasboott.hatenablog.com