ウガンダ生活

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「生きづらさ」との格闘と、読書1

10代の頃から今日に至るまで、ずっと漠然と「生きづらいなあ」と思ってきました。

ここで私が言う「生きづらさ」とは、自分の中にある他人への劣等感、その裏返しのプライドの高さ、虚栄心、羨望感、孤独感、嫌われることへの恐れなどなど・・・総じて、他者への依存心と自分自信の脆さです。言葉にしてみるとありきたりで、誰もが感じるであろうことなのですが、小さい頃からずっとこれは私の中で大きな問題であり続けています。そして同じように感じている人が私以外にもたくさんいるのではないかと、勝手に想像しています。

この「生きづらさ」の解決策が知りたくて、子供の頃から私はつねに本の中にその答えを探してきました。

今回、今日に至るまでの私の過去の読書体験と、その都度の気づきについて、つまるところこの「生きづらさ」との私の格闘記録をまとめてみることにしました。ちょっとした総括のつもりで。

恐ろしく長いので、分割記事にしています。

 

精神分析との出会い

初めて私に「生きるため」の読書の面白さを教えてくれたのは、岸田秀さんの「唯幻論物語」という新書でした。

「本能が壊れた動物である人間は、現実に適合できず、幻想を必要とする。人間とは幻想する動物である」。知的刺激に満ちた、この“唯幻論”は、どのようにして生まれたのか―。物心ついたときから、奇妙な強迫神経症に悩まされてきた著者は、フロイドの精神分析に出会うことで、その正体を探ろうとする。そして、一見、幸福な親子関係に潜んでいた自己欺瞞、母親の「愛情」こそ、神経症の原因だった…。人間という存在の不可思議さに瞠目させられる一冊。

唯幻論物語 (文春新書)

唯幻論物語 (文春新書)

 

 正直に言うと細かな点は覚えていないのですが、何が衝撃的だったかというと、これが私にとって正式な「精神分析」との初めての出会いだったから。それまでも眉唾な心理学テストなどは好きだったけれど、フロイトの存在を初めて知ったのはこの本を通してでした。

この本を読んだことがきっかけで「自分の生い立ちに、今日の自分の性格を形作った原因を見出し、分析する」というのが私の生活の大きなテーマになりました。それまで自分にとってただの持ち前の面倒臭い性質だったものが、突然に幼年からの物語に裏打ちされて、因果関係の「果」として前景にせり出してきたようでした。

この初めての読書体験に衝撃を受けて、当時の私の頭は「これで生きづらくなくなる、問題が解決する」という考えで一杯でした。岸田先生はご自身の著書の中で、子供時代の母親との関係分析を通じて、現在におけるご自分の神経症が緩和していく様に触れていました。同じ要領で、自分のどうしようもないコンプレックスも解消されると思ったのです。

精神分析はまた、私にとって「自分は悪くない」という一つの救いでもありました。私が今日感じている生きづらさ、やりずらさは、両親との不仲が原因であり、私はその被害者である。彼らは私を愛し、手厚く保護すべきときに、そこにいなかった。そのせいで損なわれた自己肯定感のツケを今自分が払わされている、正直なところそんな気持ちでした。

しかし当たり前といえば当たり前なのですが、これで問題は解決しませんでした。